今回は下積み不要論と下積み原理主義のということで考えてみたいと思います。
現在様々なインフルエンサーの方たちが、「下積みは不要」ということをおっしゃっています。
何年か前話題になったところで言うと、堀江貴文さんが寿司職人に関して「何年も修行するのはバカだ」とツイッターで発言したところ炎上しました。
長い期間の修行や苦労によって手に入れたものは価値がある、というのは偏見であり、寿司職人の修行というのは若手を安月給でこき使うための戯言に過ぎないということのようです。
この発言は寿司職人にでない芸能人なども巻き込んでかなりいろんな人がコメントをしていたような気がします。
で、そのツイッターのもとのブログはこちらのようです。
https://job.inshokuten.com/foodistMagazine/knowledge/trivia/detail/8
私は、なぜ求人@飲食店.COMが名指しで堀江さんの発言を取り上げたのか、そこに注目しました。そこから引用するならば、以下の堀江さんの発言がある意味では的を得ていたからだと思っています。
「昔はよく言ったじゃん? 寿司職人になるには10年以上の修行が必要だって。あれ、なんでかわかる? (寿司職人が増えすぎないように)わざと教えないようにしてるんだよ」
ただ、堀江さんの言葉を借りて、寿司職人になるには下積みはいらないと言ったところで、「虎の威を借る狐」にしか過ぎませんので、ここでは自分が多少なりでも事情を知っている映像業界を例に考えてみたいと思います。
結論から言ってしまうと、旧態依然とした既存の業界で成功しようと思ったら、やっぱり下積みをせずに昇り詰めるみたいなことは難しいですが、Youtuberなどの新興のメディアでは下積みするのは本当に無駄だと思います。
当たり前のことを言うようですが、「何をやりたいか」「どの領域で勝負したいか」によります。
既存の業界では下積みをせずに昇り詰めるのは難しいと言ったのは、下積みをしないと本当の意味での実力がつきませんということではなく、下積みを経験しながら徐々に昇り詰めていった先輩たちを差し置いて、いきなり上に行くことはできません、という意味です。その下積みをするのが馬鹿らしいという方は、何か別の方法で情報発信なり、コンテンツを作っていったほうが良いと思います。
たとえば、ドラマの製作現場。ドラマや映画のようなコンテンツを製作するときは、通常演出部(ディレクターや助監督)、撮影部や照明部や録音部などの技術部、進行などを担当する制作部など、数々の部署からなるチームで製作を行います。
それぞれの部署には、上下関係があり、演出部を例にすると、ディレクターや監督を筆頭にアシスタントディレクターや助監督はそれぞれ、上からファースト、セカンド、サードと呼ばれます。新人はサードやその見習いから始め、経験値を積んで、セカンドやファーストといった具合にランクアップしていきます。ディレクターの位置に上りつめるまでに10年や20年を要することもザラです。もちろん監督になれる人は限られています。歴史のある映画会社などではなおさらこの秩序はしっかりしています。
撮影部や録音部にしても同じです。撮影監督や録音技師になるには修行が必要(でした?)
一般に上に行けば行くほど自分の裁量で物事を決められる範囲は多くなりますし、より創造的な仕事になります。ディレクターや撮影監督ばかりでは現場が回らないので、どんなに才能やアイデアがあろうとも、最初はサードの助監督から始めなくてはなりません。
映画やドラマの製作現場の未来が比較的見通せた時代なら良かったかもしれませんが、今は映画どころかテレビですら将来はどうなるか分かりません。Youtubeなどを筆頭に個人や小さい会社でも情報発信ができるようになっている中、10年かけてディレクターになったときに、今と同じようにドラマというコンテンツを作る需要があるかどうかは分かりません。
私はYoutubeがこんなふうに盛り上げる前の時代、映像をやりたくてこういったドラマの製作会社などに出入りしていました。正式には採用してもらえなかったのですが、それが今となっては必ずしも悪くなかったと思っています。もし、10年くらい続けることができていたらどうなっていたでしょうか。もしかしたらファーストの助監督とか制作部の主任といった地位には入れたのかもしれません。が、過酷な撮影をしのげるため、ドラマ製作に対する情熱を持てているかどうかは極めて怪しいです。
実際に2006年ころから私はテレビを見てもいないし、そもそも家においていません。
寿司職人の世界を実際に体験した訳ではないですが、こういった暗黙の習わしのようなものが長く寿司界にも存在してきたのだと想像できます。
でも、寿司職人の世界だけではなく、いろんなところで下積み原理主義と呼べるような状況というのはあると思うのです。
要するに、下積みが必要だと唱える下積み原理主義者の人は、何等かの下積みをすることで今の地位を得た人たちなのだと言えます。
- 俺はここまで来るために苦労してきた
- お前たちも同等かそれ以上の苦労をしろ
- その苦労もせずにおれの位置まで来るな
ようするに、その地位に来るまでに、長い下積みをしてきた人たちは、下積みもせずに1人前として扱われる人間が出るということで、自分の尊厳を踏みにじられたような気になってしまうのではないでしょうか?
「おれは10年苦労したのに、お前なんで1年で寿司握ってんの?」
「おれは15年助監督して一本も監督してないのに、なんで新人が映画祭で賞獲れるの?」
ということだと思うのです。
でも、本来はちゃんとできているなら、下積みが長くても短くても関係ないと思うのです。ドラマや映画などの映像コンテンツならば、要は面白いかどうか。
たとえば寿司業界で、1年目や2年目くらいの新人にきっちり寿司の握り方を教えてしまうと、他店に転職してしまったり、独立されたりしてライバルが増える可能性があります。また、職人を雇っている側や、ベテランの寿司職人からすれば、そんな自分の首をしめるようなことはしたくないわけです。人を使う側からすれば、そういう理由からの合理的な判断をしている、ということになるのかもしれません。
堀江さんの指摘は、そういった寿司職人だけでなく、下積みをすることで今の地位を得たひとの一番触れられたくない部分を指摘した発言だったがゆえに、いまだに話題になるほど炎上したのだと思います。
ある程度下積みを続けて、続けたきたというプライドがあれば、5年目や6年目程度の寿司を握る前にはやめられないですよね。いままで先輩からのイビリとかそういうものに耐えてきて、寿司を握る前に辞めたら「なんのために我慢してきたんや」ってなりますよね。いわゆるサンクコストというやつです。そうやって型にはめていくシステムがあるんだと思います。それは寿司職人に限らず、いろんな業界に残っている慣習です。
やはり、1年とか2年しか修行していない寿司屋でも、ちゃんとお客さんに価値を提供できてるかどうかっていうのが重要だと思います。
動画業界では、Youtubeがかなり盛り上がっていますので、こういう映像業界の慣習をくぐり抜けなくてもコンテンツクリエイターとして成功する人は出てくると思います。
映像業界で言うと、ドラマというのはどういう流れで作るかというと、そこにはいろんな思惑が絡んできます。
- 商品を売りたい最終的なクライアント
- PRの企画を担当し、プロデュースする広告代理店
- 視聴者を集めるための番組企画を考えるテレビ局
- テレビ局から仕事を受注し、ドラマを制作する制作会社
など…。それぞれの会社に複数の担当がいることが通常で、特に制作会社にはかなり人手が必要ですので、数10人体制で制作にあたることになります。
Youtubeは、こういった商品の販売やマーケティングのスキームを1人から実行することが可能です。最近視聴者を延ばしている教育系Youtuberの中には、こういった流れを1人で組み立てて、役者(?)として出演することもあります。
こういった人たちはどこか制作会社などで下積みをしてきた人たちでしょうか?
答えはNoなのは明らかです。
でも、いきなりYoutubeから始める人がラクをしているかというと全然そんなことはありません。台本を書き、撮影機材を買い、撮影をしたら編集をしたりテロップを入れたりしないといけません。それを1人でやるにしろ、外注でやるにしろ作業は膨大だと思います。それを毎日のようにアップしているYoutuberというのは率直に言ってすごいと思います。そこまで苦労して、観てくれる人が全然いない、そんな期間が長く続くかもしれません。ですから、Youtuberにとって、そういう潜伏期間というものが「下積み」という期間になるのかもしれません。ですが、Youtuberであれば、先輩にいじめられたり、必要かどうかも分からない飲み会に参加させられたり、寿司も握らせてもらえない、役者の演出なんて絶対させてもらえない、という中で何年も下働きをするということはありません。動画をアップする1発目から勝負できます。すべて自分で決定できます。台本を書く(脚本家)、喋る(出演)、途中で水を飲むシーンを入れる(演出)、いらないところを切ったり、テロップを入れたりする(編集)、Youtubeにアップロードする(放送?)をすべて自分で担当します。テレビドラマの世界なら、演出部の助監督が脚本に口を出すとか、配役に采配をふるうことなどほぼ不可能です。
まず、動画をやりたいなら、動画をやりたい理由というのを明確にすべきです。
魅力的なコンテンツを作って視聴者を感動させたいのか?
影響力を獲得したいのか?結果としてお金を稼ぎたいのか?
テレビドラマはどうしても、クライアントや広告代理店の意向で使いたい俳優や女優が決まってしまったり、制作会社の中でも「そろそろ○○の息子にディレクターをやらせてみてはどうか」という人事的な采配だったりが絡んできます。やりたくてもやれないことがほとんどだと思います。
しかも、たいていの制作現場では下っ端ほど超過酷です。3時間しか寝られない現場もあると聞いて、私はこの業界を断念しました。私も大学まで体育会のクラブに所属していたこともあり、体力や根性に自信がないほうではありませんでしたが、さすがに睡眠時間を削ってまでやる仕事ではないなと思いました。
たとえディレクターの位置にまで上りつめても、自分が采配をふるうことのできる範囲というのは本当に限られてしまいます。それは映画であっても同じです。結局はお金を出す人の意向に大きく左右されます。魅力的なコンテンツの既存の枠組みの中で作る、というのはかなりの無理ゲーだったりします😨
Youtubeはどうでしょうか?最低限度の初期投資は必要かもしれませんが、アップする内容がどこかのクライアントに大きく制限される、ということはないと思います。もちろん、Youtubeのルールには従う必要はあるのでしょうが…。
影響力を獲得したい。自分のブランドでビジネスをしていきたい、と考えるなら、絶対に今はYoutubeだと思います。ですので、そういう方にとって下積みはもちろん不要です。企画の一つでも考えていますぐ動画をアップするところから始めるべきだと思います。
テレビドラマがすぐになくなるということはありませんので、しばらくはドラマ制作会社のように映像を作っていく会社も存続します。やはりテレビ局のネットワークが持っているコンテンツの製作能力は、真似できるものではありません。ドラマを作りたい、というのが目的ならば、制作会社やテレビ局に入るほうが有利だと思います。1人でドラマを作って収益化する、みたいなことは現時点ではちょっと厳しいと思います。
番組で集客することで広告の影響力を高め、クライアントの売り上げ増に貢献するという広告ビジネスの観点からいうと、今後は下積みをせずにYoutubeに流れていく人のほうがより大きな利益を短期間で生んでいく、ということになると思います。
分野によりけりですが、下積みは不要論は徐々に当たり前になっていくと思います。まずはアウトプットしてみる。反応を見て改善していくということを繰り返す。その作業を自分で選択できるかどうか。選択できる人にとって、下積みは不要というか、ありえません。アウトプットのひとつひとつが自分の評価としてダイレクトに跳ね返ってきます。