こんにちは、Rossi(ろっし)です。
今日は、ブレイクスルーの前に必ずやってくる「谷間」について考えてみたいと思います。
ブレイクスルーとは、「進歩、前進、また一般にそれまで障壁となっていた事象の突破を意味する英単語のことです。(Wikipediaより)
私たちが成長を求めるとき、次のステージに行くときに必ずといって経験するといっていいものがブレイクスルーです。
何事も練習やトレーニングを積んでいるとうまくなりますが、どこかで頭打ちになってしまうことがあります。頭打ちになったときは、努力の量を増やすとか作業時間を増やすといった直線的な努力ではなく、方法論ややり方を変えるなどの大きな変化が必要になります。
たとえばプログラミングの勉強を始めたときは、HTMLやCSSといった言語から学ぶことが多いと思うのですが、デザインがうまくなってはいくものの問い合わせページを作ったり、動的なページを作りたいと思ったときには、PHPやJavascriptなどの新たな言語を覚えなくてはなりません。HTMLやCSSを頑張るだけではできないことがたくさんあるからです。
そして、次のステージに行くためには新しい言語を覚えたり、新しいビジネス領域にチャレンジときに起こる失敗に対する不安などは精神的にも大きな負荷がかかります。今回はこの挑戦には不可欠な精神的な負荷というものについて深堀したいと思います。
今回この話をするにあたって、先人たちはどう考えていたのかを知るため、一冊の本から、ブレイクスルーの前に必ずやってくる「谷間」に言及した本を紹介します。以前にも紹介させていただいたG・M・ワインバーグの『スーパーエンジニアへの道 – 技術リーダーシップの人間学』という本です。
ワインバーグは人が成長するときは以下のようなグラフにそうイメージで成長していくと言います。急激な上昇を達成するときが「ブレイクスルー」だとすると、その直前にあるのが「谷間」だということになります。
皆さんも、ブレイクスルーが起こるときは一瞬であるということは記憶にあるのではないでしょうか。
たとえば、自転車に乗れるようになったときのことを覚えているでしょうか。最初は補助輪のある自転車に乗って練習したと思います。補助輪ありで自転車がこげるようになってきたら、補助輪の片側をはずしてもらったりして、補助輪のないほうにはこけることがあっても、徐々にコケる回数が減っていきます。そして、ある瞬間補助輪が浮いているにも関わらず自転車に乗れていることに気が付く瞬間がきます。それをブレイクスルーだといっても差支えないと思います。
ここで、補助輪を徐々に外していくプロセスで、補助輪が両方あったときは倒れなかったにも関わらず、補助輪が片方になることでこける回数が一時的に増えます。これがワインバーグによる成長曲線における「谷間」にあたります。
ここで補助輪を付けた状態に戻せば、倒れることはないものの、いつまでたっても自転車に乗れるようになりません。自転車でこければ痛いですし、いつまでも乗れない自分が嫌になってしまうこともあると思います。
しかし、補助輪を二つに戻したいという誘惑を我慢して試行錯誤を続けているうちに、残りの車輪に体重がかかっていないにも関わらず乗れている感覚を掴めていることが分かります。そして、残された車輪を外しても乗れているという状態になれます。ここからは何も言われなくても自転車に乗るという実践を通じてみんな上手くなっていくのです。
こどものころはなんなく出来ていた挑戦(自転車にのれるように練習し、実際に乗れるようになること)が、大人になるにつれて難しく感じるのはどうしてなのでしょうか。
IBMの伝説的なプログラマーであったワインバーグ自身も、自身の成長のときに感じる痛みや不安について正直に語っています。
私は四分の一世紀以前サンフランシスコの地域最高のIBM650計算機のプログラマであったとき、どんなにすばらしい気持ちだったかを覚えている。それは高原段階の中ほどにいる場合に味わう、典型的な感じであって、ひとりよがりの満足といったものだ。
この表現は、順調になだらかな成長状態にいるときの気持ちについて表しています。さらにワンバーグは続けます。
だが、人はそれを指摘しなくとも、事実がそういってくることがある。私はIBMの大名人であったが、もっと大きくて強力なコンピュータ、IBM704が地平線上に姿を表したのである。私はロサンゼルスに転勤し、704プログラマたちといっしょに働くことになったが、彼らは650のドラム方式の主記憶の最適な位置に命令を配置する、といった私の技能に大した興味を示さなかった。外部的な要素が入り込むことによって、高原状態が粉々に崩壊しはじめたのだ。
ここはちょっと意味が理解しにくいところかもしれませんが、メモリ容量やCPUの速度が早くなかった時代には、プログラマがメモリの配置や演算のアルゴリズムを工夫して、限られたコンピュータの資源をうまく活用してパフォーマンスを上げることが必要でした。
ワインバーグはIBM650というコンピュータのメモリやCPUなどの資源を効率よく使うことに非常に長けていたと思われます。しかし、IBM704という強力なコンピュータの登場によってそのような職人芸はあまり意味をもたなくなったということだと思われます。ここで、ワインバーグですらも自分が今から陥りそうな「谷間」を回避しようと悪あがきを始めることが書かれています。
私はその外部的要素を無視しようとしたのである。私はドラムはコアよりもすぐれており、一〇進法は二進法よりも本質的に勝っているのだ、と主張した。彼らが笑ったとき、どんな感じがしたかを、私はいまも忘れない。
自分が自信を持っている技術を鼻で笑われるのは辛いですね…。
そこからワインバーグはIBM704のプログラマーへと「キャリアチェンジ」をはかります。
自分の気持ちを保護するために私は、704についてこっそり勉強しようとして、たちまち谷間に落ちた。650でなら一〇分たらずで書ける程度の、704の簡単なプログラムをかくのに何日もかかった。私はそれを書くのにどのくらいかかるか予測がつかなかったし、それが動くまでにどれだけかかるか分からなかったし、それどころか正しく動くかどうかすらわからなかった。私はぐらつき、ちょっとでもいいわけがありさえすれば650に逃げ帰った。
ワインバーグのような伝説的なプログラマーですら、未知の状態においてはこのような反応に陥ってしまうということです。自分が進んでいる方向が正しいのか、あとどれくらい進めば視界が開けるのか、そういったことが分からないまま手さぐりで進んでいくのは、本当に大変ですよね。(ブログの運営にも同じようなことが言えるかもしれない)
ただし、その混乱の中で試行錯誤を続けることで、新たな光が差し込みます。
この混乱の真っただ中に、ちらちらと新しい気づきの微光が差し始めた。私は一〇進方式の650では使えないが、二進法の704では使えるすっきりしたテクニックを発見した。また私は、すっきりした主記憶と速い速度をありがたく感じ始めていた。(中略)そのうちある日のこと、650では絶対にやれない計算問題を持った依頼主に出くわした。私は自分が、704はまさにこういう問題のためにできているのだ、と気づいた瞬間を思い出す。その瞬間以来私は改宗者となり、少しばかりびりびりしてはいるが本物の改宗者の1人として、新しい高原の緩い上り坂をぎくしゃくと歩きはじめたのであった。
これ以後もワインバーグは、二進法から八進法、八進法から一六進法へという時代の変化を経験しているが、そのつど痛みは味わってきたものの、不思議と谷間を乗り越えられる自信がついていて、時には知的な興奮を感じることもあったと言っています。
ワインバーグの旧友の中には、元いた高原で比較的うまくやっている友人もいると書かれていましたが、現代のような変化の激しい時代においてはどうでしょうか?
今仕事が豊富にある分野であっても、5年後10年後はどうなっているか分かりません。おそらく全ての分野において栄枯盛衰があるのだとしたら、なくなりはしないまでもピークを過ぎた領域というのは、徐々に仕事がなくなってくると考えるのがよいと思います。
ワインバーグの成長直線をもとに考えると、緩やかな成長が続いているときに、次にやってくる波(山?)を見つけておいて、「谷間」を覚悟で次の山に移っていくというやり方が良いのではないか、と考えています。
いずれにせよ、ゼロから始めるときは、ゼロ以下はありませんので谷間に落ちる心配はありません。問題は最初の「谷間」ですね。最初の「谷間」をくぐり抜けて次のステージに行けるという感覚さへ分かれば、次の谷間はそんなに怖くないであろうことが予想されます。
また、ワインバーグも著書で言っているように「すべての谷間がブレイクスルーにつながるわけではない」ということも頭に入れておく必要があります。単なる谷間でしかない谷間もあるということです。
ブレイクスルーの前には必ず「谷間」が来ると心得て、やがてくる谷間を楽しむくらいの気持ちで挑戦していきたいものです。