少し大それたタイトルになってしまいましたが、今回は技術を追求することと、ビジネスの両立について考えてみたいと思います。
エンジニアとして仕事をこなしていく上で、どうしても自分の将来について考えることはあるかと思います。サラリーマンとして働くにしろ、フリーランスで働くにしろ、これからエンジニアとしてどうやっていくか、ということはエンジニアでなくても考えておくべきことでしょう。
エンジニアとして働いていると、とくに仕事がうまくいったときなどに「ソフトやハードの設計ができてうらやましい」ということを言われたりします。こちらとしてはいわゆる枯れた技術の組み合わせで顧客の課題に解決策を提示しているだけなのですが、やはり技術の中身を知らない人からしてみると、すごく高度なことをサラッとやっているように見えるらしいのです。
でもこの気持ちは分からないでもありません。私も駆け出しのころは、DSPと呼ばれる乗算や信号処理に特化したICで、アセンブラと呼ばれるチップのハード的な構造を理解していないと使えない言語で製品を開発してしまうベテランのエンジニアをすごく尊敬していました。
また、ELEC●Mやバ●ファローといったコンピューター関連の仕事をしている人なら誰もが知っているようなメーカーからハードの設計を受注している人や、SH●RPなどの家電メーカーから中核となるソフトを受けている会社の人たちとも仕事をしたこともあります。そんな誰もが知っているような機器の中身を作っている人が身近にいることに驚きました。
彼らはそれぞれに技術を追求して生き残った人たちです。技術的に言えば、一般的には定年と言われる年齢までソフトを書いたりハードを作ったりし続けているのですから技術屋の中では生き残った人たちといって問題ないでしょう。そしてまた、人によっては自分の会社を興していたりして、一定程度成功を収めていると言ってよいでしょう。
ですが、そういった人たちが技術の追求に純粋であるがために陥ってしまう構造的な問題があるとも思うことがあったので、今日はそれについて考えてみたいと思います。
生き残ったはずの技術屋が生き残れなくなる理由
生き残ったはずの技術屋の人たちが急激にフェードアウトせざるを得なくなっている要因には以下のような要因があるような気がしています。もちろん若いからと言ってもこれらの危険がなくなるわけではありません。私自身も、そして誰にでも肝に銘じておかないと、陥ってしまう可能性は十分にある危険な罠だと思います。
①一人ですべてやる、という姿勢が仇になる。
自分の技術にプライドや自信を持っていることは悪いことではありません。いざとなったら自分で全てできるという確信も、仕事をするうえでは気持ちの安定に寄与するでしょう。
しかし、一度技術屋として成功した人の中には自分はすべてわかっているから、すべて自分でやりたい、と考える人がいます。会社を興し、一人で仕事を受けていると、なかなか他人との共同開発の中から新たな知識を得ることができなくなっていきます。
仕事をお願いする側からしても、一人で全てやっているところよりも、複数人で仕事を補いあっていることが分かるほうが安心できたりします。一人で仕事を受けている場合、その人が分からないことがあれば、技術的にお手上げ、ということがあり得ます。他の仕事との兼ね合いでスケジュール的にも受けてもらえない場合もあります。
②受託開発の場合、技術の優位性が保てなくなっていく
発注する側の意図を考えたとき、大きく分けると仕事を依頼する理由は以下の二つ集約されるかと思います。
A)自分のところに開発のノウハウがないので、外部に委託することでノウハウを買いたい。
B)自分のところではやるのは問題ないが、時間と人手に課題があるため外注して少しでもラクをしたい。
このいずれかだと思います。少し集約しすぎかもしれませんが、それぞれのパターンで決定的に違うのは発注側の技術力と受注側の技術力の関係だと思います。
A)のパターンは発注側の技術力<受注側の技術力
B)のパターンは発注側の技術力>受注側の技術力
となっています。すべてがこうなるとは限らないのですが、おおよそこうなります。
Aのパターンの場合、特にソフトウェアに言えることですが、一度開発してしまったものは資産として何度も利用できたり、また発注側に理解力のあるエンジニアがいれば受注側から受け取ったソースコードなどをもとに開発力をつけてしまったりして、次回からも同じように受注ができるとは限りません。よって、技術力が以下のような関係に徐々になっていきます。
A)のパターンは発注側の技術力<=受注側の技術力
または発注側の技術力≒受注側の技術力
Aのパターンの場合、技術が高いからこそ発注側は仕事を依頼していたのであって、継続して受注側が技術力に磨きをかけていかない限り、力関係が維持できなくなっていきます。ですが、開発の受託はどうしてもできる範囲で目一杯仕事を受けていくことが多くなるので、ただでさえ忙しい開発の合間を縫って、新しい技術を身につけるというのは至難の業です。
やがて、技術的な優位性はなくなってしまいますので、受託開発を続けたければ同様の技術で新たな顧客を開発するか、思い切って新たな技術に挑戦するなどして変化していかなくてはなりません。ただ、変化し続けるというのは、口で言うほど簡単なことではありませんよね。
Bのパターンの場合は、発注側の従業員が手間をかけるほどのものでもない、というような仕事を誰かにやらせようという意図で発注することが多いので、えてして面白くもなんともない、人員・工数を計算していくら、といいような仕事ばかりをやらざるを得なくなる可能性があります。
もちろんそういう需要があることも事実ですし、それはそれで仕事としてやっていければ良い、という考え方はあるかと思います。しかし、多くの人にとって、起業とはそういう仕事を受けるだけの味気ないものではないような気がします。
③技術にプライドを持っているが”ゆえに”後継が育たない。
これも非常によく見る例なのですが、技術的に卓越しているがゆえに部下や後継が育たないということがあります。いくら技術的に卓越していようと、これはビジネスとして成長しません。
私は仕事上、いろんな分野のエンジニアと仕事をすることがよくあるのですが、各分野にはそれぞれベテランで腕に覚えのあるエンジニアの方がかならず一人か二人います。彼らは技術的には素晴らしいのですが、かと言って後継を育てるのがうまいか、というとそうではないケースが多いです。
自分が苦労して今の技術を身に着けたという自負があり、それを簡単に後輩には教えたくない、という心理があるのだと思います。単に技術力で見た場合、ベテランのエンジニアがやったほうが早く正確にできることは確かです。ですが「自分でやったほうが早い」と言って、若手にやらせないでおくと、いつまでも若手ができるようにならないので、結果いつまでもその会社と仕事をするときは、相手がそのベテランのエンジニア、ということになってしまいます。
でも、若い人も任せてもらえたらそれなりに工夫して仕事ができるようになっていくはずです。自分もそうやって最初は多くの失敗を重ねながら今に至っています。
ベテランのエンジニアの人たちは教えるのが下手なのでしょうか?私は違うと思っています。若い人に教えて、技術を覚えてしまうと自分にしかできなかったことが自分が教えた若手にもできることになってしまいます。若手の社内での評価が高まり、自分の評価は相対的に下がってしまいます。ですから、自分の存在価値を否定されたような気持ちになる、ということを潜在的に気づいているから、「あえて教えてない」といったほうが正しいと思います。
では、この問題は、ベテランのエンジニアの当の本人だけが悪いのでしょうか。私はそれをベテランのエンジニアだけに責任を押し付けることも的を外しているような気がします。
たとえば、ベテランが若手にみっちり仕事を教えたとします。そしてその甲斐があって、若手が仕事を覚えてバリバリと自力で仕事をこなせるようになり、顧客の課題を解決し、仕事が評価されたとします。
このとき、会社の経営陣や顧客が仕事を担当した若手社員のみを評価してしまい、肝心の「ベテランが若手に教えた」ということを評価していない(見えてもいない)場合が多いのではないでしょうか。ベテランのエンジニアも薄々そのことを感じていて、直接顧客から評価がもらえるような目に見える仕事に自ら直接手を出してしまうのです。
結果、若手はいっこうに育たず、仕事も任せてもらえないので、「○○さんは仕事を教えてくれない」と徐々に不満をためることになってしまいます。
やはり誰だって仕事をすればそれを評価してほしいと思うもの。
ベテランのエンジニアに対しては、仕事の腕についてはもちろんのこと、若手や後継を育てる、ということを評価するようにしないといけません。エンジニアではなく、教育者やリーダーとして評価するのです。たとえ大手の会社であっても、人を育てる能力をどう評価するか、という評価軸が、少なくとも若手を育てる当の本人に分かりやすい形で示されていないのです。
これはいち社員か、会社の社長であるか、を問わず陥ってしまう問題で、技術的に自信を持っている人ほど陥りやすいです。どれだけ卓越した技術を持っていようと、よほどの天才でもない限り、一度に受けられる仕事の量には限界があります。ビジネス的に考えれば、若い人をどんどん育ててやりがいを持って働いてもらったほうがいいというのは、少し冷静になればわかることなのですが、これを積極的にできるベテランのエンジニアは希少です。
だから本当は技術関連の会社を経営する人や、その会社の上層部は、育ちつつある若手ではなく(もちろんその若手に対する評価も必要ですが)、なぜその若手社員が育っているのか、という原因のほうも鋭く見抜く目を持たなくではなりません。
次回は、そのベテランのエンジニアと経営陣の両方の立場に立って、どうすれば技術的なこだわりから自由になれるか、という観点で考えてみたいと思います。